コンクリートに住まうことと、<br/>時々僕は、ググらないことについて

最近、ググらないようにしている。なんだかググると、とても退屈になる気がしてしまっている。これは客観的なエビデンスがあるとかそういうのではなくて、僕のムードだ。とくにレビューにはもうコリゴリだ。そんな経験を僕は引っ越しを通じてしたのだった。
そうそう、デザイナーズマンションの、とくにコンクリート打ちっ放しに住みたいと考えている人は、ぜひ読んでください。そのへんのくだらない記事よりは使い物になるはずです。
少し前に引っ越して、今はデザイナーズのマンションに住んでいるんだけど、この家を探すときに僕はググりまくっていた。そして、デザイナーズといえばネット上では「すみにくい」だとか「建築家のエゴ」だとか、さらにウチはコンクリート打ちっ放しなんだけど、それに関してはもう「豚小屋に住むつもりか?www」ぐらいのノリでさんざん愚痴が書かれている。
時には何かコンクリートに恨みでもあったのか?と思わせるような投稿やブログの書きこみをみかけた。
正直、あまりひどく書かれていたので、一瞬住むのやめようかなと思ったこともあった。でも、広いし、僕は持ち物がけっこうカラフルだったりするので、コンクリの壁をきれいに飾って住める自信があった。だからそれらの評判を無視して住むことにした。
結果、僕はとても快適に暮らしている。たしかに不便はある。コンクリ打ちっ放しは冬寒く、夏暑いと言われている。これはそもそもコンクリートが「熱しにくく・さめにくい」特性を持っているからそうなるのだ。つまり、冬は熱せられにくいのでひたすら冷たく、部屋も冷え、また夏は昼間にコンクリートが加熱され、夜はその熱を放射し続けるから暑いという原理だ。
実感として、確かに冬は寒い。暖房には工夫が必要だ。でもそれは、電気膝掛けとエアコンとサーキュレーター、さらに寒いときは石油ストーブと、いろんなメソッドを状況に応じて使い分ければ何の問題もなかった。投資も初期投資と燃料費だけで済むし、電気代もそんなに飛躍的に高くなったわけではない。確かに高くなったが、部屋が20帖近くあるから、たぶんそのせいだ。
さらに気づいたのは、「冬寒く、夏暑い」というのは、その50パーセント以上が日当たりが要因になるということ。うちは北東の1階角部屋。冬はそもそも日が当たりにくい。それゆえ少々冷え込んで当然なのだ。とはいえ、そうなれば夏も日が当たらないわけだから、「熱しにくく・さめにくい」コンクリートの特性は「昼間あまり加熱されないため、夜もその冷たさを持続する」ということになり、結果として夏が涼しい住まいということになる。
日本の住まいは古来から夏を中心に設計されてきている。夏中心の住まいは日本の気候では快適なのだ。
次に結露問題だ。これも神経質な記事がいっぱいあった。冷たいコンクリートに室内の暖かい空気が直接ふれるため、水滴になって壁につくというものだ。部屋で鍋をして、石油ストーブをガンガン焚けばたしかにこれも起こる。が、換気さえきちんとしていれば、全然防げるレベルだ。鍋+石油ストーブなら、1時間に1回ほど換気さえしていれば、結露は生じない。もし石油ストーブでなく、エアコンで1日過ごすなら、ほとんど換気は必要ないだろう。それに、こまめな換気は健康にもいい。結露を防ぐ手間で、同時に健康にもなれるなら、暮らしとしては悪くない。
ほかにも灰色に囲まれると風水的にだめだとか、とにかく信じられないほどバカな記事がたくさん出てきた。それらに反して僕の人生は引っ越して完全に上向き絶好調だ!
これらの記事はみな、住むことを完全に勘違いしている。というか、住まうことを楽しんでいない。自分は快適に過ごすためにお金を払うから、とにかく最高に快適にしてくれ、でないと文句を言うぞという感じの、あまり豊かじゃない人々の発想なのだ。
快適に住む、ということは、自分の人生と暮らしを、家を通して愛することだ。家はそのひとつの機会に過ぎない。
自分が好きな家に住んでいると、朝起きて初めてみる風景が、自分が大好きな風景になる。これは1日を本当に気持ちよく始めさせてくれる。そして、その「好き」というのは自分で少しずつ作るものだ。お気に入りの机、お気に入りのポスター、絨毯、ベッド、思い出の詰まった本棚…。誰に与えられるでもなく、ましてや部屋作りの本なんか買ってそれをそのままそろえるでもなく、自分が好きで買いそろえて作っていくのだ。それが自分のいちばん好きな家や部屋になる。そうやって手をかけていくことで、家に愛着がわくようになってはじめて、住まいを、暮らしを愛することができるようになるのだ。
部屋に多少の欠陥があったとしても、それを自分の暮らしへの愛と工夫で解決していくことが大切なんじゃないだろうか。逆に、暮らしの愛もなく、工夫もせずに、快適な住まいを手に入れようなんて、そもそも考え方がおかしいのだ。そんな家はどこにもない。むしろそんな心貧しいひとは、どんなところに住んでもat homeな気持ちにはなれないだろう。
僕らはこんな心貧しいレビューに日常の選択を許してはならないと思う。電気製品、居酒屋、本・・・。言うまでもなく、今やググること、レビューから逃れることのほうが難しいと言えるだろう。そしてそれは時に自分の暮らしを豊かにしているかもしれない。でも、選ばされることと、選ぶことは別次元だ。レビューやグーグルに選ばされる人生なんてまっぴらだ。
選ぶことを、もっと。僕はそうやって生きていきたいと思う。